105回全国高校野球選手権記念大会、過去現在印象深い監督編

野球

この記事ではプロ野球薄口評論家が印象に残った監督紹介します

第2回監督紹介

土浦一高、取手二高、常総学院高校 木内 幸男監督

昭和6年7月12日生まれ、令和2年11月24日永眠、木内 幸男 職業『高校野球監督』
『野球だけに人生注いだ』本人談、80歳で監督勇退茨城弁丸出しで愛嬌のある語り口は
高校野球ファンに親しまれていた。取手二高木内監督が有名になったのは昭和59年最強のチームPL学園、桑田、清原両選手が2年生夏の大会決勝戦、延長10回の末、8対4で初優勝する。
その後『木内マジック』や『のびのび野球』などのキャッチフレーズができる。

常総学院時代は元プロ野球選手、現在もMLBで活躍しているダルビッシュ有選手(東北高校)伊良部選手(尽誠学園)川島選手(東亜学園)上原選手(沖縄水産)木村、後藤両選手(中京)などの
好投手や名門高を退けていく戦いが『木内マジック』と呼ばれる

野球の試合の流れ、戦術のたくみさ、選手一人一人の能力を把握し、時には奇をてらった攻撃で
相手の意表をつき、相手投手の心理をついた采配で勝ち全国優勝3回の実績を残した。
『例、私はなにもしてません、全て選手が頑張った結果』ととぼけた木内節を発言するが、野球に
対しては緻密で繊細であることと人心掌握術にたけていたとOBたちが証言しています。

高校野球で有名な高嶋氏(智弁学園、智弁和歌山高)蔦氏(池田高)中村氏(PL学園)
尾藤氏(箕島)馬淵氏(明徳)渡辺氏(横浜)前田氏(帝京)7監督、
名将とは木内監督は指導の仕方が違う。

木内監督 勝利への名言と監督の仕事

『勝って不幸になる人間はいない』
『勝てば官軍、負ければ賊軍』
『楽して勝つ方法を教えてくれる、数少ない監督』関係者談
監督の仕事は『それは勝たせること』
監督通算成績(春7回、夏15回)優勝春1回、夏2回 40勝19敗

まとめ

この記事ではプロ野球薄口評論家が印象に残った監督を紹介させていただきました

  • 土浦一高、取手二高、常総学院高校 木内 幸男監督
  • 木内監督 勝利への名言と監督の仕事

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