この記事では村田兆治氏についてお話させていただきます。
プロ野球で活躍された村田兆治氏の軌跡
出身地広島県三原市
1949年11月27日 プロ入り1967年ドラフト1位、初出場1968年10月8日、引退1990年10月13日
将来はプロ野球選手
小学5年生の時に、父親に連れられて広島市民球場に行き、生でプロ野球を観戦し感動する。
高校は福山電波工業高校(現近大付属福山高校)
天性の剛速球、球は重く、速かった当時はスピードガンはなかったが152,3キロはでていたのではないか?県内では有名だったが当時広島の高校野球のレベルが高く甲子園には出場していない。
ドラフト1位
広島カープの名スカウト木庭氏から間接的に1位指名を伝えられていたが、予備抽選で指名順位を
決める方法でカープは12番目で東京オリオンズに先に指名される。
東京オリオンズ入団
プロ入り後ベテランの小山正明氏や榎本喜八氏の影響で練習に打ち込む。1973年金田監督になり、
コンディションの方法とアドバイスのおかげで『マサカリ投法』を編み出した。1976年フォーク
ボールを習得し昭和50年代パリーグを代表する投手に成長する。
トミージョン手術の先駆け
ドジャースのトミージョン投手がこの治療を受けたことが、名前の由来、故障は治るという光を
後輩たちに伝え多くの投手が手術で復活している。
引退後
解説、コーチなどを経て、2005年野球殿堂入り、2008年から『離島甲子園』離島の少年たちを指導し
夢を与えた、野球を通じて離島振興活動をライフワークにされ野球の発展に貢献されました。
まとめ
この記事では村田兆治氏についてお話させていただきました。
- 出身地広島県三原市
- 将来はプロ野球選手
- 高校は福山電波工業高校(現近大付属福山高校)
- ドラフト1位
- 東京オリオンズ入団
- トミージョン手術の先駆け
- 引退後
元ロッテオリオンズ 愛甲 猛氏
若手と話しながらアップしていたら『レギュラーは人を寄せ付けない雰囲気でやらなければいけない』
本当に実直な方でした。
今の時代にはあわないですが、昭和に生まれた明治の男 まさしくサムライジャパン村田兆治氏
でした。プロフェッショナル『人生先発完投』ご冥福をお祈りいたします。プロ野球薄口評論家より
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